今日はきれいな青空が広がっています。気持ちの良い日です。
昨日は、南支区世界宣教委員会主催の宣教報告会が開催されました。ブリュッセル日本語教会で宣教師として働かれた方のお話を聞きました。短期派遣という珍しい形でしたが、必要とされていたこと。半年という短い期間でも、教会の方々と交流し、新しい道を模索することができたと報告がありました。とても前向きな報告で、元気を与えられました。
印象的だったのは、教会にとって何が一番大切であるかをみんなで時間をかけて話し合ったという報告でした。信徒の数が減り、礼拝の場所も定まっておらず、牧師もいない中にあって、私たちはどうするのか。何が一番大切なのかを改めて問い、話し合った結果、日本語で聖書を読み、日本語で讃美歌を歌うことを求めていたことに気づき、派遣宣教師が帰国した今はケルン・ボン教会とオンラインで合同礼拝をささげているとのことでした。大事なものが分かったから、それを実現するために、日本語礼拝をしている同じ教団の仲間がいる教会と合同礼拝をささげることにしたそうです。それまでは、他の教派に合流するか、地元の礼拝に参加するかなどいろいろ迷っていたそうですが、ここで自分たちの方向性を決めることができたそうです。月に一度はケルン・ボン教会の牧師が聖餐式に来てくれるようにもなり、また日本にいる教団の牧師がメッセージを担当する日もあり、オンライン礼拝で良い交わりができているそうです。
報告を聞いて、可能性の広がりを感じました。オンラインをどう用いていくか、教会の有機的なつながりをどう確保していくか、ヒントになることがたくさんありました。日本においても牧師不足で、牧師不在の教会が増えています。複数の教会を牧会することが当然となりそうな状況ですから、ブリュッセル日本語教会の歩みは明日の日本の教会の姿かもしれません。私たちは何を大事にするのかという問いを、いつも確認していたいと思いました。
ただ、信仰生活は礼拝だけで完結するものではなく、ブリュッセルに永住予定の方々は自分たちの最期を誰が看取ってくれるかとの不安があるそうです。駐在員家族と現地の人と結婚した家族の間にはやはり違いがあり、その違いにも気づかされたとの報告に納得する思いでした。きめ細かな牧会がどこまで可能なのかも問われています。礼拝は信仰生活の中心ですが、礼拝が守られればすべてOKというわけではなく、信仰の生涯をまっとうするためにはさまざまなサポートが必要です。その辺りをどう担っていくのかも、牧師不足の日本の教会に問われていると感じました。少し広い視野を与えられて感謝です。宣教報告会の意義も感じることのできる集会でした。