2023.10.19

10月の半ばですが、今日の日中は夏日になるとの予報。下の子の学校では、本来は衣替えの季節で、移行期間は7日まででしたが、今年は10月末まで延長されました。

108日は、岩居保久志牧師の説教でした。「キリスト者の呻き」と題して、ヨブ記とローマの信徒への手紙から御言葉を語られました。生きる上でのさまざまな呻き。岩居先生はご自身の高齢化も取り上げておられましたが、私たちは人生のさまざまなステージで困難や試練に直面し、呻くことしかできない状況に置かれる。その時に、共に呻いてくださる霊なる神がおられることは本当に心強いことだと語られました。一人で苦しんでいるのではなく、本当によく分かって、一緒に苦しんでくださる方がいる。しかも、万事が益となるように働いてくださり、苦しみはいつか感謝に変わる日が来ると御言葉は語ります。「信仰があって良かった」という思いが溢れた説教だったと感じました。

15日は、マルコによる福音書42125から御言葉を聞きました。「ともし火のたとえ」と「秤のたとえ」を聞きましたが、印象的だったのは今をどう生きるかと問いかけられている点です。やがて明らかにされる神の国の秘密を、私たちは先に知らされました。神の国の到来を知る者として、今をどう生きるのか。「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉や「何を聞いているかに注意しなさい」との呼びかけは、私たちの御言葉を聞く姿勢を問うています。毎週の礼拝で御言葉を聞きますが、注意深く聞いているか。それは、「神がわたしに何を語ろうとしておられるか」と耳を澄ませて聞く聞き方のことです。人との関係においても、「聞く」ことは意外に難しいことです。聞いているつもりで聞いていないことが起こります。神との関係においても、やはり難しいです。きちんと聞こうとする準備がなくては、聞くことはできません。説教の準備も、心が乱れている時は、なかなか進みません。そういう時の祈りの言葉は、詩編8811です。「御名を畏れ敬うことができるように、一筋の心をわたしにお与えください。」御言葉に集中して、やっと聞こえてくる言葉があります。「何を聞いているかに注意しなさい」との声にはっとさせられました。

 

御言葉の種を蒔かれた方は、たくさんの実りを与えてくださる方です。御言葉に耳を澄ませ、従っていく時、私たちには実りが約束されています。今をどう生きるか。御言葉に信頼し、御言葉と共に歩んでいこうとの思いを新たにさせられました。

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